9月 1日にtomoさんから私の記事に対してコメントをいただきました。
それに対して私の答えられる範囲で回答をさせていただきたいと思います。
コメントで質問にあたるのは以下の点だったと思います。
(tomoさん、間違ってたら指摘してください)
■ 3Rは温暖化対策としての意味は小さいか?
■ 環境啓発事業は無意味なのでは?
■ モデル的な省エネ生活の提案が必要では?
■ Reduceを進めると経済の低下するのでは?
■ 経済の低下が心配・・・
これらの質問についてお答えしたいと思います。
■ 3Rは温暖化対策としての意味は小さいか?
もともと3R(リユース、リデュース、リサイクル)は温暖化対策を目的とした取組ではなく、ごみの減量や資源消費の節約を目的としたものでした。ただ温暖化問題解決の視点からも3Rは有効であるといえます。2005年時点での廃棄物からのCO2排出量は国内排出量2.8%です。また家庭部門(マイカー利用除く)は電気等間接排出も含めて13.5%となります。このことから3Rや家庭での温暖化対策は、あまり積極的に取り組む分野ではないという意見もあるのでしょう。確かに、企業の取組は非常に重要です。
ですが3Rの取組がCO2排出削減に与える影響は、ごみを減らすことによる直接的影響だけでなく間接的な影響もあります。つまり、無駄な消費を抑えたり、製品を何度も再利用することは、企業が製品の生産や輸送・販売にかけている資源消費やエネルギー消費を減らす間接的効果があるのです。例えば、過剰包装を減らすことは、ごみになる包装が少なくなるだけでなく、包装を作る資源やエネルギーを節約することにつながるのです。こういった間接効果も含めれば、3Rが温暖化対策としてもつ効果は過小評価すべきものではないでしょう。
■ 環境啓発事業は無意味?
環境対策の効果という点から個人の意識を変えるための啓発事業を評価するとひどく漠然としており、頼りなく感じられるというのももっともなことだと思います。そう思われるのは、現在の日本の温暖化政策の枠組が、特に企業や個人レベルにおいては、ほとんど自主的な取組に任せられていることに原因の一端がありそうです。そのため、関心のある企業や個人だけがやっても、ほかの多くの主体が取りくまなければほとんど効果は見込めない状況になっています。温暖化問題が社会全体の問題であり、皆で取り組む必要があると認識し、公平な義務と負担のルールを作ることが求められます。例えば「環境破壊的な商品や消費が経済的に割に合わない」、逆に「環境を破壊しない商品や消費行動が経済的に得する」、こうした状況を作れば、環境に関心がない人々にも行動してもらえそうです。日本の政策にはそれが欠けているため、いくら啓発をやっても効果がないといった印象になるのではないでしょうか?
■モデル的な省エネ生活の提案が必要では?
個人がどんなことをすれば、CO2を排出しない環境にいい生活をおくれるのか?こういった疑問はもっともです。われわれもそういった提案を積極的にしていく必要があるのでしょう。ここのところは今後の課題です。ただ、エネルギー消費量やCO2排出量は、個々人の生活スタイルは人によって大きく変わりますし、住んでいる地域や仕事によっても変わります。そういったことを配慮した上で、個々の数値を積み上げていく必要があると思います。例えば、京都市が昨年度おこなった家庭での省エネモデル事業では、約40世帯で電気の消費量がリアルタイムでわかる機器を設置し省エネに取り組んでもらったところ、前年同月比で20%も電気消費量が減ったそうです。これは1ヶ月という短い期間でしたので、日々の行動によって削減したものですが、省エネ製品の買い替えや住宅の省エネ改修、自然エネルギーの導入などを行えば、さらに大きい効果が期待できます。
■Reduceを進めると経済の低下するのでは?
Reuduceを推し進めていくと、実質GDPが下がる場合もあります。
Reuduceには、「無駄な消費をしない」という意味が含まれます。そもそも「無駄な消費をする」ことは、われわれの幸福にとっていかなる意味を持つのでしょうか?仮に「無駄な消費」が「ソレがなくても困らない消費」だとすれば、そこから得られる幸福は、われわれの社会基盤である環境を破壊してまで手に入れなければならないものなのでしょうか?
ただ、「資源消費量」の大きさが「便利さ・快適さ」の大きさに対応するかというとそうでもないでしょう。効率の悪い技術や機器を使っていれば、資源消費量に対して、快適さは得られないということにもなります。例えば、省エネ電球は、白熱電球と同じ明るさを提供しますが、消費電力は5分の1、寿命は10倍です。この場合、効率の悪い白熱電球を使うのは、経済的にも割りに合わないことです。
■経済の低下が心配・・・
経済の低下を心配しておられますが、そもそも実質GDPはわれわれの幸福の指標として正しいのでしょうか?例えば、水が汚れれば、上下水施設への追加投資も必要ですし、より質の高い水を求める人々は、ミネラルウォーターや浄水器を設置するかもしれません。こうした経済活動は確実に実質GDPを増やします(ただ余分な社会資本が必要となり、維持管理にもたくさんのお金がかかります)。しかし、もともと水を汚さなければ、低い費用負担できれいな水を飲めたかもしれないのです。同じきれいな水を飲む場合でも、前者はお金が必要でそれによってGDPが増えますが、後者はほとんどただで手に入ります。空気や食べ物、余暇などについても同様です。
では、環境に配慮した経済を推進していくと、どんな社会になるのでしょうか?一つの例として、2004年に市民エネルギー調査会が発表したエネルギーシナリオがあります。そのシナリオの一つで、脱原発を実現しながら2030年にCO2排出量を42%減らすことが可能な社会モデルを提示しています。それによると、GDPは1985年レベルにまで低下しますが、経常収支や財政収支は安定化し、雇用の形態も変わり、社会が新しいパラダイムにシフトするというシナリオを描いています。